いつ訪れるかも分からない災害時、被災した人々の暮らしを支えていくのが、最低限の雨露をしのぐ環境となる「応急仮設住宅」。緊急型のプレハブ住宅から、居住型の木造住宅へ、求められる価値観も大きく変化してきた。応急仮設住宅のあり方と役割も問われていく時代、地域の工務店ネットワークが存在意義を高めている。
阪神淡路大震災、東日本大震災などの大規模災害で、広く認知されるようになった仮設住宅という言葉だが、その歴史は国際赤十字が規定したことに始まる。本来、応急仮設住宅の概念は、戦争や紛争により家を追われた避難民に対して、赤十字が用意・提供する「テント村」を意味していた。そこは「緊急避難場所」として住む場所の意味合いが強く、命を守るのが大前提。最低限の雨露がしのげればいいという考えで、居住性能の発想はない。その基準が長く当たり前とされていた時代は、緊急時の即効性に優れたプレハブ住宅が良しとされ、国内でも1995年の阪神淡路大震災以後、プレハブ業界はプレハブ型の応急仮設住宅(6坪・9坪・坪)を数万戸ストック、その中で対応していた。しかし、現在の日本における住環境を考えれば、仮設住宅とはいえ、居住性能面が大きな課題になっている。
例えば、震災で被災した場合、被害の大きさ、余震などの二次・三次災害の可能性、そして被災者自身が高齢者という社会的弱者であれば、避難生活も数年で終わらず長期化する恐れもある。その場しのぎの仮設住宅では、居住者としての尊厳やプライバシーが守れなくなってしまう。仮設住宅の概念が整ったばかりの当時は「テント村」「バラック住宅」などでも良かったかもしれないが、現代の住環境レベル、日本人の住生活環境を考えたとき、時代遅れと言えるだろう。
日本の仮設住宅について、昭和以降の歴史的な背景を振り返ってみよう。応急仮設住宅が初めて建設されたのは、1943年(昭和年)の鳥取地震まで遡る。その後、鳥取市大火災(1952年)、新潟市大火災(1955年)、そして伊勢湾台風(1959年)などの災害時には、数十戸単位ながら、仮設住宅が供給されてきた。新潟地震(1964年)以降には、軽量鉄骨プレハブ型が建設され、酒田市大火災(1976年)では300戸が供給されている。雲仙普賢岳噴火時の仮設住宅は、入居希望者全員に供給された。
そして記憶にも新しい阪神淡路大震災(1995年)では、4万8300戸が供給され、入居希望者全員へ供給する考え方が決定的になる。それ以来、新潟中越地震(2004年)3460戸、兵庫県台風9号(2009年)42戸などの供給を経て、歴史上最大の被害をもたらした東日本大震災(2011年)は5万2182戸が供給され、応急仮設住宅の役割も浸透を重ねる。
木造住宅業界も、工務店全国組織のJBN(全国工務店協会)が中心となり、東日本大震災では1000戸余りの木造応急仮設住宅(在来工法)を供給。居住性能にこだわる、新たな試みをスタートさせた。「応急仮設住宅といえども心が癒やせる、性能の良い木造住宅を提供したい」の思いを実現するため、JBN、全国建設労働組合総連合の2団体が、全国木造建設事業協会(全木協)を設立。「木造応急仮設住宅」の供給に向け、国土交通省・各県と協議を重ね、6坪・9坪・12坪を標準プランとした環境および体制の整備に取り組んできた。先の熊本地震災害(2016年)では、全木協熊本県協会が県産材をフル活用、600戸余りの「熊本県型木造応急仮設住宅」を実現させている。
全木協では2013年より、全国における研修会を開催。災害時、各地域で瞬時に取り組めるよう、情報と技術の共有を図っている。全木協広島、広島県工務店協会で要職を務め、活動に尽力されてきた河井英勝さんは、「全木協広島県協会も、広島型木造応急仮設住宅の実現を掲げ、全木協主催の全国研修会に参加してきた。
2014年には広島市内で座学・実技の研修会を開催し、広島県とも協議を重ね、2017年からは全木協中国ブロック委員会も設置。災害時における木造応急仮設住宅の仕様など、全木協山口県協会とも連携しながら、6・9・12坪型の間取りと組み合わせ、木杭基礎、コンクリート基礎などのバリエーションと併せ、さまざまなパターンを想定。積算も実施して、もしものときに備えてきました」と胸を張る。
2018年7月、西日本豪雨災害が発生して、今回の三原市に建設した応急仮設住宅は、全木協広島県協会、主幹事工務店の役割を担った橋本建設株式会社など4社による、県産材を使った木造住宅。配置計画および基本プランの組み合わせと仕様を確認、設計提案は半日で仕上げるなど、緊急時の迅速な対応が必要だった。そうした作業の中で、提案から決定までのプロセスを完遂させたのは、5年におよぶ体制づくりと準備、また福島県や熊本県の被災地と情報交換を継続していたことも、有事に役立ったと言えるだろう。
地震や台風の大規模・広範囲災害とは異なり、豪雨の局地的災害は、地盤の弱い広島県で繰り返される恐れもある。木造応急仮設住宅の役割と必要性は高まるばかりだ。
工務店全国組織の一般社団法人JBN(全国工務店協会)が中心となり、1000戸余りの木造応急仮設住宅を供給。
(優しい木の住まいvol.5で特集掲載)
災害時に県の要請で直ちに応急仮設住宅の着工に取り掛かれる協定を結ぶ。また、工務店各社から社員、大工50名が合同参加して実際さながらの施工実習が行われた。
(優しい木の住まいvol.10で特集掲載)
熊本県は全木協と災害協定を締結。地域工務店の協力を得ながら約520戸の木造応急仮設住宅を建設された。
(優しい木の住まいvol.15で特集掲載)
1943年(昭和18年) 鳥取地震 応急仮設住宅を始めて建設
1952年(昭和27年) 鳥取市大火災 数十戸単位の仮設住宅を供給
1955年(昭和30年) 新潟市大火災 数十戸単位の仮設住宅を供給
1959年(昭和34年) 伊勢湾台風 数十戸単位の仮設住宅を供給
1964年(昭和39年) 新潟地震 軽量鉄骨プレハブを建設
1976年(昭和51年) 酒田市大火災 300戸の仮設住宅を供給
1991年(平成3年) 雲仙普賢岳噴火 入居希望者全員に仮設住宅を供給
1995年(平成7年)阪神淡路大震災 48,300戸の仮設住宅を供給
2004年(平成16年)新潟中越地震 3,460戸の仮設住宅を供給
2009年(平成21年)兵庫県台風9号 42戸の仮設住宅を供給
2011年(平成23年)東日本大震災 52,182戸の仮設住宅を供給
2011年(平成23年)7月からの大雨 8戸の仮設住宅を供給
2012年(平成24年)九州北部豪雨 75戸の仮設住宅を供給
2013年(平成25年)台風26号東京都 29戸の仮設住宅を供給
2016年(平成28年)熊本地震災害 4,303戸の仮設住宅を供給